評価:★★★★ 4
20世紀最後の新本格作家こと霧舎巧のデビュー作。
ミステリ批判の常套句として「人間が描けていない」というのはよく聞くけれど、この霧舎巧のデビュー作もまさにその通り、全く人間が描けていません。ただ「人間が描けていない」というのはミステリにとって本当に短所となっているのでしょうか。むしろミステリに対してこれだけしつこく人間が人間が……と言われているのを見ていると、むしろ人間を描かないことこそが面白いミステリの第一条件なのでは? とさえ思えてしまいます。ミステリ読者が求めるものは、不可解な謎と常識はずれな解答、そしてその答えの説得力なわけですから。登場人物の葛藤だとかそういったものはあくまで付随的でしかないのです。
つまりはキャラクターやその心情、舞台や背景なんてものは全部、謎が生まれるための、またそれが解かれるための、予め用意された道具でしかないのです。本作は他のミステリよりもずっと強くそれを感じさせてくれます。作者が下手なだけともいえるし、いやいやこれこそが作者のミステリ愛だ、という風にいうこともできる、と思います。
まず、本作で特徴的なのは人物の記号化です。咲さん=超能力。大前田さん=鍵開け。などといった特殊能力(?)を割り振ることによってキャラクター付けを行うという、ライトノベルみたいなことをサクッとやっちゃってます。鳴海さんのハードボイルドやユイの子供っぽさも同じようなもの。なんでこんな事が許されるのかというと、これらの登場人物はすべてミステリにおける道具でしかないと割り切っているからだと思います。登場人物を記号化することによって各々の行動の理由付けを簡単にし、物語を展開させ、更には謎解きにまで応用する。すごい割り切り方だけど、それがミステリ愛なのかも、と思ってしまいます。
それと、この作品を読んでいるとおそらくかなり早い段階で、なんか普通の作品と違うぞ? と違和感を覚えると思います。ただこの違和感はこの物語を成立させるために必要なのです。事件と全く関係のない日常の中でも、登場人物たちがしきりに論理だ論理だと騒ぎ立て行動や思考を推理したりと少々強引に思える箇所があったりします。ちょっとこの人たちは頭がおかしいんじゃないかな、なんでこの登場人物たちはこういう考え方をしてるんだろう? 読んでいるうちにこういう疑問が浮かぶはずです。その疑問に対して「あ、これがミステリだからだ」という答えを出せれば、きっとこの作品が面白く読めると思います。そうやって割り切ることができた瞬間から、登場人物たちから人間性とかいう邪魔なものがするすると消えていきます。こうして物語の中で彼らは記号化され道具となり、その役割を存分に演じることができるのです。
きちんと道具を用意して、謎を披露して、上手く解決まで導いていく。ミステリ以外の要素をほとんど詰め込まないままあれだけの分量を書けてしまう作者はすごいと思います。なんだかもう勢いだけだと思いますけど。かなり極端な作品ですが、面白いんじゃないでしょうか。でもやっぱり受け入れられない人も多そう。